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KCON WALKER

IABSEシンポジウムと中央ヨーロッパにおける橋梁・構造物視察ツアー Vol.6

G・150919 ヴェニス・ミストレからミラノへ

 

ミラノ市内の橋梁視察 ガイドさんは加藤さん

 ミラノは古い町で、ローマ時代からあり、運河が多く、道路は放射状に造られていて、環状線が4周ある。その内側がミラノ県で、運河を埋めたところを一周しても6kmくらいである。カブラリカブーサ(over bridge)が多くあり、1961年建設の古い建物が新都市計画で新しくなっている。

 ミラノはヨーロッパから陸続きなので、多くの人が入ってくる。

 人口はローマの半分くらいの135万人だが、カウントされない人ばかり、町は移民・難民・観光客だらけである。

 2015年5月から10月まではEXPOが開催され、多くの観光客が来ている。

写真G-3のミラノ中央駅は1858年に築造された。しかし、手狭になり、1912~1931年にクリスタルタッキーネの設計で、ショッピングセンターと兼用の駅舎となり、築84年である。

 駅構内はスリも多い、触られてもいないのに取られたという人もいるという。


 

 

写真G-4・5はミラノ市内の風景で、写真G-6には森をイメージしたラーディカルフォレスト(鉛直の森)が見える。テラスに木が植わっている。

ベランダに大きな荷重が裁荷すると落下するのではないだろうか?設計に考慮されているのかな?

地下鉄は4ライン営業している。1960年代に赤色の1号線が開通し、次に緑の2号線、1990年代に黄色の3号線、昨年、すみれ色の5号線が開通して、4号線は現在工事中である。

地下鉄は一回1.5€である。ヨーロッパの各都市で車庫証明が不要なので多くの車が歩道まで占用している。貸し自転車、貸しバイク、貸車が多くある。

 写真G-7・8は交差点内でパフォーマンスをする女性、曲芸をしている。

日本の地下鉄の歴史

 日本における地下鉄は、貨物線では1915年(大正4年)に東京駅東京中央郵便局(現JPタワー)間(約0.2km)で開通した逓信省の郵便物搬送用地下軌道(正式名称不明)[ 1] に始まり、旅客線では1925年(大正14年)に開通した宮城電気鉄道(現・JR仙石線)の仙台駅東七番丁駅間(約0.4 km)に始まる。本格的な旅客用の地下鉄は、1927年(昭和2年)に開通した東京地下鉄道(現・東京地下鉄銀座線)の浅草駅上野駅間(約2.2 km)が最初である。

≪ウィキペディアより≫

 

 写真G-9の道路に黄色のラインが引いてある部分は、ミラノ市に年間駐車料金を払っている人が駐車できるスペースで、ブルーラインはPの看板の下に時間当りの料金が表示されていて、駐車券を買って駐車できる。その他の車は違反をしており、Policeが来ると反則切符を切られるらしい。

 反則金を支払わない人が多く、5日以内に支払ったら30%OFFの制度がある。一日の違反が1万件くらいあるという話を聞いた。

 駐車状態を見ると前後の車が透き間なく駐車しており、その昔、パリで、駐車の際、前後の車を押しのけてスペースを広げる様子を見たことがあった。しかし、間隔を詰めて上手に駐車している。

 中央駅にはスリが30数名いるとか?エスカレーターは動きがゆっくりしていて狙われ易い。エレヴェーターは密室で危険。赤ん坊を抱いたり、妊娠している社会的弱者もいるので注意するようにとのこと。多くがイタリア人ではないそうだ。

 ヨーロッパは高速道路で繋がっており、国境がないくらいだ。

「最後の晩餐」はレオナルドが1460年にドミニカ修道院の食堂の壁に直接描かれたもので、昭和45年当時、フラッシュを使用しなかったら撮影は許された。その後、撮影禁止となったと聞く、そして、移設保存された。現在は8:15~19:00の間見られるが、全世界からくる。チケットは3か月前からインターネットで発売している。エイジェントにより価格が異なり、拝観時間は30人・15分である。現在は写真を撮っても良いらしい。

 写真G-10は昭和45年1月17日の私、修道院食堂前にて焼き栗を買っている。残念ながら「最後の晩餐」の写真は残っていない。

 

修道院は1460~1480年代に多く作られた。写真G-11はギリシャ・メテオラ修道院で14~15世紀に掛けて建築されたようだ。この険しい崖を構成しているのは海成の砂岩で、含まれているカルシウム成分が(気の長くなるような)長時間の変成作用で非常に固い砂岩が形成されることもあるようだ。

テキスト ボックス: 写真G-12 サンクルストファ教会とサンクルストファ橋≪一般財団法人 地域 地盤 環境 研究所   井上直人氏≫

 

イタリアには世界遺産が一番多い。

                            

ミラノは潅漑の為に県境に川があり、川から運河を引いて輸送を考えた。現在町中では埋め立てられて道路になっているところもある。

 マルテガーナ運河は1475年、レオナルドがミラノにやってくる少し前から建設が始まり、アッタ川から水を引いている。動力を使用せずに運河を渡る「レオナルドの渡し」があり、筏で片道50セント、往復1€である。

写真G-12にサンクルストファ教会を示す。教会やサンクルストファ橋も15世紀に造られた。

見学の為にバスからの下車時、「降りる時は急がず、あわてず、速やかに」とガイドさん。

ミラノの南は水田、丘の方にはぶどう畑がある。

 

 大運河は1177年に造られた。

 

ナビリオ地区ではEXPO(5/1~10/31)の関係で水を抜いたカラの運河に水を引いて、若者が集う町にしたが、住民はうるさくて寝られないらしい。どこでも元気はよいが、過ぎると迷惑になる。人間は健気(けなげ)でなくてはならない。

写真G-13はナビリオ地区の運河に

再び水を導入したところ

 

 

ドイツや北欧では落書きが少なく、それぞれの国のライター(落書きをする人)がスプレーを数百本持ってイタリアにやって来る。ドイツやノルウェイのライターが捕まったとの報道がある。

 写真G-14は日本のPRでANA、ルフトハンザ、オーストリア、スイスのそれぞれの飛行機会社が直行往復で597€で宣伝している。

ここでは1$=1€として計算されるそうだ。

 

ローマ帝国はBC753年、古代ローマ王政から始まり、509年共和制と続く。その後領土を広げ、ヨーロッパ28カ国にも及んだ。

 ローマ帝国最大時はヨーロッパ全土と北アフリカから中東、英国の半分までに及んだ。拡大し過ぎたローマ帝国は紀元後、何回かに分裂統治するが、ミラノは286~402年間西ローマ帝国の首都として栄える。

 ローマには遺跡が多く残っている。ミラノにも円型競技場や劇場等があったが、その後の支配者によりリサイクルされて、別のものに作り替えられ、当時のものはほとんど残っていない状態である。

西ローマ帝国の滅亡が476年、東ローマ帝国は1453年、後にフランス、スペイン、オーストリア等の支配下に置かれた。

イタリア王国になったのは19世紀半ば過ぎで、ミラノは最初から併合された町である。

ミラノでは教会を壊し、道路や建物を作った経緯がある。

ローマ人は広大な場所に行き、綺麗好きだから風呂などを多く作った。

テキスト ボックス: 写真G-16奥から17世紀、18世紀、19世紀に築造された建築物写真G-15はミラノ・スカラ座前広場に建つレオナルド像(1452年4月15日 – 1519年5月2日)で、ダ・ヴィンチの「ダ」はfromの意味があり、「ビンチ」はvillage 村である。村から来た「レオナルド」となる。

写真G-16は建築物の変遷で、手前から1900年代、1800年代、1700年代の貴族の建物と並ぶ。

 

 

ブレラ美術館の中庭には、写真G-17カノーバー作・ナポレオン像があり、1809年の誕生日に送られた。

 

プレラ絵画館は耐震構造として、コの字型に作られている。また、プレラ美術館はロの字型に築造されており、どちらも耐震構造としている。

 

写真G-18はEXPOの一環か、ビーチバレーが行われていた。写真G-19はスフォルツェスコ城前のEXPOメイン会場である。

 写真G-20は昭和45年に撮影したスフォルツェスコ城で、当然ながら当時とは変わっていない。