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KCON WALKER

IABSEシンポジウムと中央ヨーロッパにおける橋梁・構造物視察ツアー Vol.7

H・150920 チューリッヒ

 ガイドさんはさちこミラーさん

 

 写真H-1は14世紀初め、チューリッヒで初めてのミューレ歩道橋。

街中では焦げ臭いにおいがしている。「ハシシ」という麻薬だそうだ。この麻薬は自分の家で栽培してもよいが、他人との売買はいけない。自分用だと良いことになっている。

テキスト ボックス: 写真H-1 ミューレ歩道橋スイス連邦の全人口は808万人(2013年)でチューリッヒの人口は38万人(2012年)で、スイス最大の町である。銀行業や保険産業が湖沿いに広がっている。

 川を挟んで北側がオールドタウン、町には路面電車が走っている。町を流れるリマト川はチューリッヒ湖から流れ、ライン川に至る。

テキスト ボックス: 写真H-2 丘の上左・チューリッヒ工科大学、遊覧船と右はミューレ歩道橋 写真H-2左丘の上はチューリッヒ工科大学で、アインシュタインを始め、ワシントン・ブリッジの設計で有名なアンマン教授やサルギナドーベル橋の設計者・ロベール・マイヤール教授等の有名な学者が多く在籍していた。また、23名のノーベル賞受賞者を出しており、世界でも優秀な工科大学である。

現在日本のノーベル賞受賞者は米国国籍を含めると23名である。

  路面電車やリマト川の船に乗る場合は往復1日チケットを買うと24時間有効とのことで、仰せのとおり購入、路面電車に、また、リマト川から湖水遊覧へと十分活用させて頂いた。チューリッヒ湖の水は美しく、例年の最高水温は24℃であったのが、今年は25.5℃と記録的な水温に達し、非常に暑かった。

 橋梁はチューリッヒ湖畔のクヴァイ橋からリマト川下流に向かいミュンスター橋・ラートハウス橋・ルドルフブルン橋・ミューレ歩道橋・バーンホーフ橋・ヴァルヒエ橋へと続く。

 チューリッヒ湖の水は良質でおいしい。硬水だが軟水に近い。水の70%は湖水より、20%は湧き水で、10%が地下水となっており、水筒が売られている。

 チューリッヒ市内は路面電車が交通の基となっている。

 写真H-3・4はスカートを着用したヘルメット姿の婦人像で、1292年、チューリッヒの男性が隣町に遠征しているのを知ったハプスブルグ家の兵士が、チューリッヒの町を視察に来た際、丘の兵士を見て、「まだ兵士がいるぞ」ということで、チューリッヒの町は攻撃されず、ハプスブルグ家に支配されなかった。そして、チューリッヒは女性の強い町だと言われるようになった。女性の参政権は1972年に与えられたが、ヨーロッパでは遅い方であった。

日本では女性の普通選挙が実現したのが1925年である。

 

 

菩提樹の丘:裁判を行うときは菩提樹の下で行うと人間は嘘をつかないと信じていた。

写真H-5のサンクト・ペーター教会時計台は直径8.7mで、19世紀の中ごろまでは塔の上に登り、時を知らせていた。ヨーロッパ最大の時計盤だ。

日本ではお寺の鐘が庶民に時を知らせていた。時刻の呼び名は一二支を用いる場合と数字を用いる場合があった。23時から1時ころが子の刻、1時から3時ころまでが丑の刻で、以下2時間刻みで寅の刻、卯の刻、…亥の刻となる。

数字の場合は、子の刻の午前零時から九ツで、以下2時間ごとに八ツ、七ツ、六ツ、五ツ、四ツとなって、12(正午の刻)がまた九ツになる。

小澤正晴・日本史ハンドブックより

市民の憩いの場にしようと国民投票が実施され、駐車場をなくして文化的な噴水を設けるように決められた写真H-6工事中の公園である。

 

写真H-7は市庁舎に掛かる橋・ラットハウスブリッケで、橋上で野菜や果物を売っていた。津波が来ると危ないということで、改修するか否かチューリッヒ市で検討することになっているとか。

 写真H-8ラットハウスは13世紀に確認でき、現在の建物は1694~98年に築

造された。

 写真H-9はグロスミュンスター(大寺院・大聖堂1836~38年)で、チューリッヒが誇る歴史的建造物の中でもひと際目を引く。「大教会」という意味を持つプロテスタント教会で、外観は美しいロマネスク様式で造られている。特徴的なまったく同じ形をした 2 本の塔はまるでツイン ロケットのようにそびえ、屋根の後方には血のように真っ赤な尖塔が突き出ている。優れているのは外観だけでなく、聖堂の内部には息をのむほど美しい装飾窓が張られ、ロマネスク様式の地下室が設けられている。

グロスミュンスター大聖堂の建設工事が始まったのは 1100 年頃。その 110 年後に完成した。大聖堂が建つ場所は、カール大帝がチューリッヒの殉教者であるフェリックス、レグラ、エクスペランティウスの 3 名の墓を発見した場所だといわれている。塔のてっぺんにはかつて木製の尖り屋根が付いていましたが、1781 年の火事で焼け落ちてしまったためネオゴシック様式の屋根に付け替えられた。空にそびえるその姿は今、チューリッヒを象徴する存在として人々に愛されている。≪インターネットより≫

写真H-10 ルドルフブルン橋の側面に黄色の印が付いている。天井がつかえずに遊覧船の通過できる場所を明示している。

 

写真H-11はミュンスター橋で、右岸側にあるグロスミュンスター大聖堂と、 左岸側にあるフラウミュンスターをつなぐので、この名がある。

写真H-12はヨーロッパを統一したカール大王が1201年に亡くなり、1973年に世界遺産に登録された。1757年に建てられた建物の前で1946年、英国のチャーチルがチューリッヒ市民並びに全世界に向けて第二次世界大戦は終わったと宣言したところ。写真H-13はチャーチルの銘板。

写真H-14はフラウミュンスター(聖母聖堂)である。

カトリックとプロテスタントの違いはあるが、ここはプロレスタントのフラウミュンスター(聖母聖堂)で、ご婦人の教会である。

リマト川左岸に立つ教会で、青緑色の屋根をもつ細身の女性のような時計塔が印象的。教会はドイツ・ゲルマニアの王ルートヴィヒ2世が853年に女子修道院と共に建立したもので、そこからフラウ(ドイツ語で女性の意)の名で呼ばれている。1215世紀にゴシック様式の教会となり、現在の建物はロマネスク様式とネオゴシック様式の部分もある。20世紀になってから、シャガールが手掛けた美しいステンドグラスが取り付けられた。また、ジャコメッティ作のステンドグラスもある。≪インターネットより≫

 

当教会の神父の奥様がシャガール展を見に行き、この教会のステンドグラスの図案を考えていた神父に一度見に行ったらと、進めた。神父は展覧会に行き、感銘を受けた。早速シャガールに手紙を出した。そして、5枚のステンドグラスの絵を描いてほしいと頼んだ。シャガールはユダヤ人の教会にはそのようなものがある。しかし、プロテスタントの教会には置かれていない。一つだけ条件がある。私はユダヤ人だからエルサレムを描きたい、ということを条件に1971年、神に祝福されるステンドグラスをシャガールが描いた。

 シャガールは大金がかかるが、金のことを言わなかった。そこに一人の金持ちが現れ、名前を出さないという条件で金を出した。そして、死後なら名前を公開してもよいとした。

 

 同教会に地球を形作っているのは水、石、植物、人間という生命体が集まっているというジャコメッティ作のステンドグラスがあった。撮影禁止との事で撮れなかったのが残念だ。

この教会では結婚式は土曜日に行う。日曜日は神も休みで、葬式は月~金に、もし、金曜日に亡くなると翌週まで待たなければならない。

 

写真H-15は高級公衆トイレで、工事費は2千万円を要した。一回の使用量は2スイスフラン、約280円、そんなに出すのは緊急を要している時くらいだろう。しかし、280円支払い内部を撮影しておけばよかったと後悔する。

テキスト ボックス: 写真H-15 高級トイレ 写真H-16は女性専用の湖水浴場、 プライベートだから撮影は禁止、120年続いている。ここでは女性はブラジャーを外しても良いことになっているようだ。内部が見えなくて残念。

写真H-17にチューリッヒ湖とリマト川の境にクヴァイ大橋がある。電車も車も通行している。通行量の多い橋はジュネーブのモンブラン橋があるが、Luzernのカーブリッケ湖のケイ橋?がスイスで最も交通量の多い橋である。

チューリッヒ湖は1962年2~3月にすべて凍った。-12℃が3日以上続くと凍り、厚さが12cmになった時に凍ったという。

チューリッヒ湖は遊覧船で一周すると4時間掛かるそうだ。湖の最大水深は142m。