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KCON WALKER

コンクリートの起源から構造物築造の変遷 Vol.02

こんにちは!

弊社の顧問執筆によるコンクリートについてのいろいろなお話が新しくスタートします。
おもしろいのでぜひご覧ください。

 

4、パルテノン神殿
写真-6、7に示すアテネ、アクロポリスの丘に建造された神殿について紹介するが、これらにはセメント材料は使用されていない。
パルテノン神殿はBC438年に完成している。横31m、縦70m、柱の高さ10m、柱下部の直径は2m、建物周囲約160mに46本の柱が立っていて、アテネ市内のペンデリ山から切り出された最高級の白大理石が使用されている。
柱は円柱のドラム1個当り5~10 t、梁材は15 t程度で高い加工が施され、円柱ドラムの接合面の凹凸は1/20mm、接着面の密着精度は1/100mm以下で、調整用モルタルは使われていない。ギリシャ時代の柱頭建築様式を図-1に示す。パルテノン神殿の柱は重量感を持たせるようにドーリア様式が採用され、柱は全て内側に少し傾斜した状態で、その交点は1 km上空にて会合するように立てられている。また、写真-8に補修されている柱の状態を示した。2400年という歳月とともに茶褐色に変色している様子が伺える。


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写真-6 パルテノン神殿


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写真-7 パルテノン神殿


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写真-8 柱の修復 2400年の比較


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図-1 柱頭の建築様式


5、パンテオン神殿(ローマ)
写真-9、10に示すローマのパンテオン神殿はBC25から築造されたが焼失し、再びAC118~125年に築造された。ローマ人が発明した水で固まるモルタル(石灰1:火山灰2:水0.5)を使用していたとされるが、詳細は不明である。
従来のモルタルは川砂と石灰に水を加え十分時間を置いて乾かさなくてはならなかったが、ローマ近くにはポッツオラーナという良質の火山灰が産出し、水を混ぜるとすぐに固まるものを発見していた。これがポゾラン反応の語源となっている。さらに、パンテオン神殿の壁面は凝灰岩を、頂上部分は軽石を使用したアーチを形成している。
このように建物の躯体をコンクリートという構造材に変えることにより石材や煉瓦では作れなかった大規模かつ多用な構造物を短時間で作ることが可能となった。写真-11はパンテオン神殿の内部で、写真-12にある鉄の扉は2000年前のもので、鉄の種類としては鍛鉄と思われる。


6、ポンペイの街
写真-13、14はイタリア半島南部、ナポリ近郊にあった古代都市ポンペイで、AC79年のヴェスヴィオス火山噴火による火砕流により一瞬にして地中に埋もれたことで知られる。当時のポンペイの街は石材とコンクリートの組み合わせにより造られていた。現在は発掘され当時の街の様子が伺える。写真-13には道路を横断する敷石が車輪が通れるように間を空けて敷設されている。


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写真-9 柱頭の建築様式


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写真-10 パンテオン神殿


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写真-11 神殿内部


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写真-12 2000年前の鉄の扉


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写真-13 ポンペイの街並み


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写真-14 ポンペイの街並み


7、コロッセオム
 写真-15のコロッセウムはAC75~80に築造され、写真-16は地下にあった施設がむき出しになっている。フラウィウス闘技場とも呼ばれ、かつて多くの公開処刑が行われた場所とされている。
 この建造物も石材とコンクリートが使用されたものである。当時、新しい構造物を築造するのに石材を採掘するより既存の材料を転用したほうが安易に入手できるので、多くが破壊され転用されたとのことで、コロッセウムもそのひとつであったらしい。


8、カラカラ浴場
写真-17、18に示すカラカラ浴場は212年から216年にかけて、カラカラ帝の治世に造営されたもので、構造は225mの長さに185mの幅、おおよその高さは38.5mほどで、あちらこちらに2,000から3,000の浴槽を設置され、「冷室」、「温室」、「熱室」と二つの「ジム」のようなものさえあった。


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写真-15 コロッセオム


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写真-16 コロッセオム内部


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写真-17 カラカラ浴場


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写真-18 カラカラ浴場


9、構造物の維持管理と技術の継承
ローマ時代には多くのコンクリート構造物が築造されたがそのメンテナンスに多額の費用が必要になり、財政面をも圧迫したという説がある。インフラ整備の資金は皇帝直轄の属州からの税収により支出された。
中世において大規模な建造物が築造される場合、コンクリートは煉瓦を型枠とするので、ゴシック様式の石造建築物が広まった。ローマ時代に飛躍的に成長したコンクリート技術はローマ帝国の滅亡とともに建築様式に馴染まず継承されなかった。しかし、石造建築の目地材としてのモルタルは多用され、その技術はローマ帝国の属州にいた石工たちにより伝承され、「水で固まる」という性質はかろうじて有していた。


10、エディストン灯台
 17世紀の後半からイングランド南部にエディストン灯台が築造された。この灯台の建設に当たり、古代ローマ時代に使用されていたコンクリートの製造技術に目を付け、試行錯誤の末、現在のセメントの原型となるものを使用し灯台を完成させた。エディストン灯台はイギリス海峡の南沖合い14マイルにある岩島に1696年に立てられた。写真-19にその築造場所を示す。常に暴風に見舞われ、過酷な条件であった。写真-20、21に示す初代灯台や二代目灯台、さらに写真-22の三代目が1709年に完成したが激しい暴風雨に飲まれそして、写真-23の四代目は1759年に完成している。灯台の建材として、いち早く水硬性石灰(水で固まる一種のモルタル)を使い、花崗岩のブロックをぴったり積んでいく技術を開発した。この灯台はスミートン塔と呼ばれ、1877年まで使われていたが、土台の岩が侵食され始めたため解体した。
スミートンは石灰に水硬性を与える条件を特定したことから、セメントの進歩に重要な役割を果たし、後のポルトランドセメントの発明の基礎を築いた。これは古代ローマ時代以来、初めて本格的にコンクリートが用いられた建造物となる。


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写真-19 エディストン灯台築造場所


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写真-20 ウィスタンリによる初代灯台


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写真-21 ウィスタンリによる二代目灯台


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写真-22 ラドヤードによる三代目灯台(1709-1755)


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写真-23 スミートンによる四代目灯台(1759-1877)


11、水硬性セメント
1824年にジョセフ・アスプディン(1778-1855)というイギリスのレンガ積み職人が「人造石製造法の改良」という表題で特許を取得し、ここで初めて「ポルトランドセメント」という名称が使用された。モニエ(1823‐1906)はフランスの技術者で鉄筋コンクリート工法の発明者。庭師であったが,植木鉢の耐久力を増すために金網にコンクリートを流し込むことを考案し,1867年に特許をとり,さらに1868年には鉄筋コンクリート製の「貯水槽」、翌1869年には床版、 1873年には写真24に示す「鉄筋コンクリート製の橋」で特許取得。そして、1877年には鉄筋コンクリートまくら木の特許を得た。鉄筋コンクリートは圧縮力をコンクリートで,引張力を鉄筋で受けもつ構造物であり,この発明により土木建築の技術は飛躍的な進歩をとげた。
彼は鉄筋コンクリートの最初の発明者ではないが,耐火床,耐震家屋,橋などをつくり,鉄筋コンクリート工法の啓発や普及にその生涯をささげた。


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写真-24 モエニ橋


参考文献
コンクリート材料工法ハンドブック
セメント産業における非エネルギー起源二酸化炭素対策に関する調査
コンクリートの長期耐久性・小樽港100年耐久性試験に学ぶ
 土木学会・第一大戸川橋の概要335委員会成果報告書
 雑誌:コンクリート工学
 神戸市水道局パンフレット
 湊川隧道保存友の会パンフレット
 建設業界⑩⑪ volume 52、2003
 土木学会誌 1992年11月号 北の国からの大いなる遺産
 その他インターネットより