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KCON WALKER

スペイン・南フランスの旅 vol6

⑩ 9月8日 バルセロナに向け出発、着・11:30

 

 地中海から競り上がる小高い丘(170m)、モンジュイックがある。 モンは山・丘で、ジュイックはユダヤで、ユダヤの丘という意味。

 バルセロナオリンピックが22年前1992年に開催された。1936年の開催予定地にバルセロナが一度立候補しながらもベルリンに敗れ、その後スペインがベルリンオリンピックをボイコットをする一方で、ベルリンオリンピックに対抗する形で同時期に人民オリンピックが計画されながらもスペイン内戦の前にそれさえも挫かれた経緯を踏まえての開催であり、当時のスタジアムをそのまま用いて開催された。(ウィキペディアより一部抜粋)

1929年万国博覧会会場はモンジックの丘で行われ、1992年のオリンピックメイン会場ともなった。モンジュイックの丘に上がるとバルセロナ市街を一望できる。

スペイン国内は17自治州に分かれていて、バルセロナはスペインのカタルーニア州で、以前から独立気風があり、公式には認められていないカタルーニア国の旗が家々に掛けられている。これは独立を期待している人々が掲げているようだ。また、フランスと国境を接しているバスク州もある。

1714年の王位継承の敗北からエスパニアとなったがそれ以前はフランス王国の中にあった。バスク州も独立機運が高い。

     バルセロナスペイン広場       モンジュイックの丘より一望。中央にサグラダ・ファミリヤが見える。

カタルーニア自治州の人口は600万人強、スペイン全土では4300万人である。現在のスペイン語の言語はカスチージャ地方で使われていたもので、1000年以上前からカタルーニア地方で使われている。そして、自治州の公用語として使われている。バスク州にもラテン語ではないスカディという言語があり、現在バスク自治州の公用語として使われている。高速道路の表示版はその州に入るとその州の言語に変わるという面白い現象がある。

カタルーニア自治州には4つの県があり、バルセロナ県とジローナ県、レリダ県、タラゴーナ県の4つからなる。

空港の掲示板はカタルーニア語、英語、スペイン語の順で書かれている。

スペイン広場:闘牛場の外壁を持ち上げて高さを調整し、ショッピングセンターに変えた。

旧王立造船所があり、大航海時代の名残である。

 

1992年バルセロナオリンピックスポーツパレス会場や木をイメージしたパビリオンは磯崎新(いそざきあらた)氏の設計である。

カラトラバ設計の通信塔・モンジュイックタワーが見える。

聖火台は1936年開催時に使用するつもりで作られたもので1992年には使用されなかった。サマランチさんはバルセロナの人である。

世の悲惨さをゲルニカにピカソが描いたがスペインでは展示できず、ニューヨークで展示された。フランコ将軍が生きている間、ピカソは帰らなかった。

 

 ガウディ・1852年生まれ、1926年没

 大聖堂とは司教がいる協会で、サグラダ・ファミリアは大聖堂とはなっていないが、地下に「ミサ」が行われる教会があり、ガウディの墓もある。

 内部の柱は鉄筋コンクリート造で、石材(斑岩)を貼り付けている。

斑岩:斑状構造を有する火成岩で、一般に黄色、白無色、灰色であるカリ長石、石英などを班品とし雲母、角閃石を含む。

 寺下さんという日本人が工房を持っておられ、作品をサグラダ・ファミリアに収めておられるという。柱の太さはφ1.05~2.1m

 1936年オリンピックはベルリンで開催され、バルセロナは1992年第25回夏季オリンピック競技大会開催となった。

 

ホロコースト百科事典より

19368月の2週間、夏季オリンピック大会の開催中、アドルフ・ヒトラーのナチス独裁政権はその人種差別主義、軍国主義の特性を隠蔽していました。ナチス政権はオリンピックを利用して、平和的で寛容なドイツのイメージで多数の外国人観客や報道記者を惑わせました。1931年、国際オリンピック委員会は1936年夏季オリンピック大会の開催地をベルリンに決定した。2年後、ナチ党の最高指導者アドルフ・ヒトラーがドイツの首相になりました。1936年ベルリンオリンピックのボイコット運動がアメリカ、イギリス、フランス、スウェーデン、チェコスロバキア、オランダで表面化した。多数の国のユダヤ人選手が個人的にベルリンオリンピックをボイコットした。しかし、米国のアマチュア体育連盟が193512月に参加に賛成投票すると、他の国も同調し、広範なボイコット運動は衰退した。

 

サグラダ・ファミリア(ウィキペディアより)

サグラダ・ファミリアは、カタルーニア・モダニズム建築の最も良く知られた作品例であり、カタルーニアの建築家アントニ・ガウディの未完作品である。 

バルセロナ市のシンボルであるこの建物は、綿密に構成された象徴詩的なシンボロジーと共に、パラボリックな(放物線状の)構造のアーチや、鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻などで、大胆な建築様式を誇っている。

2004年の統計によれば、サグラダ・ファミリアはアルハンブラ宮殿やマドリッドのプラド美術館を抜いてスペインで最も観光客を集めたモニュメントとなり、2008年には270万人を集めた。生前のガウディが実現できたのは地下聖堂と生誕のファサードなどであるが、これらは2005年にユネスコの世界遺産に登録された。

 

9月9日バルセロナ2日目

 ヨーロッパ橋見学、高さ100mで2007年7月に完成した。大型船が通過するときは橋が上下に移動する仕組みになっている。

 ヨーロッパ橋の先の桟橋に豪華客船が停泊している。20万円で地中海1周できる。酒代は別だが食事は全て付いている。12月は安いが寒い、夏が良い。

 

ランブラ・デ・マル橋

 ヨットハーバーの近くにあり、ヨットが出入りする際に橋の中央が回転する仕組みになっていて、1994年に作られた。木製である。しかし、現在は別ルートからの出入りが出来るようになり、回転はしていない。

 

・・・・・ランブラ・デ・マル橋・・・・・

バク・デ・ロダ橋(カラトラバの設計)1985~1987年築造、その下を新幹線が走っている。現在モンペリエ駅は建設中。

 

 
 

 

 

 

 

 

 

グラシア通りにガウディが作った建物がある。屋上に十字架のある建物があり、これは世界遺産に登録されている。その隣がアマチェルさんの家で、モザイク張りで美しい。バッチョさんがこの美しい建物を見て負けないようにガウディに改築を依頼した。1904~1905に改築されている。

カサミラという建物があり、建設当時は醜悪な建物だということでラペドレラ(石切り場)というニックネームを付されたが、今では地元ではこちらの名称の方が一般的で、現在修復中である。これもガウディの設計で、本人は亡くなっているが模型が残されているとのことである。

グエル公園:昔は住宅地で、一部区画売りされた。残った部分をガウディの設計で公園にされた。

 ベンチは多くの人が座れるように半円形になっていて、姿勢正しく座れる構造で、人間工学からも優れた設計である。

 ベンチ上に降った雨はベンチ背面のカメレオンの口から排出されるようになっている。また、公園広場内の降雨はその部分を支持する支柱の中を通り排出される。

 公園の面積は1200m2で、入場制限がある。

 公園内に公立の小学校がある。

 

夕方、フニキュラとロープウェイを乗継ぎ山頂のお城にゆく。その後、フラメンコショウ観覧、女性が、床を力いっぱい叩きつける音は迫力満点。

(つづく)