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KCON WALKER

パルテノン神殿の石柱はコンクリート製品か?

顧問:H.M



パルテノン神殿の石柱はなぜ褐色なのか、という疑問を持ち2012年5月10日に修復中のパルテノン神殿を訪れた。ペンテリコ山から切り出された当時は透き通るような白色大理石であり、これが2400年間の日焼けが原因で変色したと推測した。また、神殿横の石材置き場に写真-1・2に示す「鋼材」で補強されたコンクリート柱の一部分があり、何故コンクリート製品があるのか疑問に感じた。2014年1月、再度、アクロポリスの丘を訪れるチャンスを得た。
 現在、このコンクリート柱は他の場所に移され、現地にはなかった。修復作業をされておられる調査員の方(Ms. Antigone Vrouva)に現地のツアーガイドさんを介してお聞きした。ツアーでの限られた時間(約15分)から十分な情報が得られず、詳細はメールで送るとのことでメールアドレスをお伝えした。2014/2/5、土木技術者Mr. Zannis Konteas から返信を得た。
 パルテノン神殿はAD1687年、ヴェネチア軍の攻撃で大破した。当時オスマン帝国の支配下にあり、一説によると神殿は弾薬庫として使用されており、爆発で大きく破壊したとガイドさん。また、すぐ近くにあるエレクチオン神殿は司令部として使用されていたとか。1832年、ギリシャは独立した。100年前(1900年以降)に神殿は第一次修復作業が行われた。この作業では「鋼材」で補強されたコンクリート柱を製造し、修復に使用された様子である。しかし、修復の理念に叶っていないとのことから中止され、これらが撤去され、それが石材置場に静置されていた様子である。
第二次修復作業では従来使用されていた石材と同様の大理石を使用しての修復が現在もなされている。
写真-3、4は100年前に修復された柱頭部分で現在は博物館に保管されている。写真-4から小部材を接続するのに「鋼材」を使用していた様子がうかがわれる。現在は補強材料として全てチタン(titanium)が使用されているとのことであった。


以上Mr. Zannis Konteasの資料より
石材置き場
写真-1石材置き場(2012/05/10撮影)


コンクリート
写真-2コンクリート写真の拡大


柱頭部
写真-3柱頭部の写真


柱頭部写真の拡大
写真-4柱頭部写真の拡大