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KCON WALKER

コンクリートの起源から構造物築造の変遷 Vol.06

こんにちは!

弊社の顧問執筆によるコンクリートについてのいろいろなお話が新しくスタートします。
おもしろいのでぜひご覧ください。

 

22、小樽港北防波堤(コンクリート工学・Vol.No.9,2008.9より)
小樽港は明治5年道央の幌内丹の積出港として地位を確立した。図-3に防波堤位置図を示す。しかし、如何に天然の良港であるといっても、冬季に襲来する波浪は厳しく、海岸部に建設された護岸は至る所で崩れていた。この明治20年代のわが国主要港湾における外国人技師指導の下に進められた築港工事で多くの技術上の失敗や事故が発生したことにより、新たな工事着手に二の足を踏む空気が強かった。しかし小樽港では明治26 (1893) 年の井上内務大臣の道内視察に際し、長官をはじめ廣井博士らの調査資料に基づく理路整然たる陳情により当時の日本土木界の最高権威古市公威内務技監が派遣され調査の成績を検討した結果、廣井博士の案に基づき着工に向けて進み始めることになる。これを見ても小樽の築港工事が日の目を見るに至るまでの博士の力がいかに大きかったかがわかる。そこで、明治25(1892)年、琵琶湖疏水完成後に北海道庁長官に就任した北垣国道に、廣井勇は小樽港築港の必要性を説き、明治27 (1894)年、廣井博士により深浅測量、ボーリングなどの調査が始まり、修築を緊急の事業として早々に着手した。
明治41(1908)年に竣工した広井勇博士設計による小樽港北防波堤堤頭部の燈台基部に北垣国道書の石碑文「興天無極」が埋め込まれている。
写真-59に示す北防波堤の建設に着手したのは明治27(1894)年、翠28年には防波堤の一部をなす大試験工事が始まるのである。
このようにして進み始めたのではあったが、この小樽港のように全く遮蔽のない大海に向って防波堤を築造するような工事は日本中どこにも前例がなく、横浜港におけるコンクリートブロックの亀裂事故などもあって政府は容易に起工の許可を出さなかった。
そこでともかく試験工事を行ないながら工事を進めることでようやく政府の許可を得、明治29(1896)年に修築第1期工事の予算を編成し翌明治30(1897)年から7年の継続事業として工事が開始された。しかし財政の都合により期間が延びて明治41 (1908) 年にようやく第1期工事の防波堤延長1287mが完成した。
小樽港の築港工事が本格的に始まった明治30 (1897) 年に博士は小樽築港工事事務所長として工事に専念するようになる。最大水深は15mで、その構造は砕石マウンドの上にコンクリート方塊を積み重ねた形式の混成提である。この14~23tの方塊は防波堤の延長方向に71°34`の角度で傾斜積みされていることから斜塊とも呼ばれている。この構造は工事中堤端における方塊の脱落を防ぐと共に捨石沈下の影響を吸収させ、また局部的な波力を隣接ブロックに伝える効果を持たせようとしたものである。
今日のような巨大なケーソン出現以前の工法として外国の例はあったが日本では最初のものであった。


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図-3 小樽港防波堤位置図


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写真-59 小樽港北防波堤


斜塊の製作に使用されたコンクリートは表-3に示す配合で、W/C=38~44%と推定され、超硬練りのコンクリートで厚さ18cmごとに10.6kg木蛸を二人で15分間突き固め、そして水分が浮いてくると布で水分を吸い取り、一人用の小蛸で隅各部を突き固めた。さらに打ち継ぎ面の接着を良くするために熊手でかき乱し、これを入念に繰り返し施工した。そして、8人一組で1日8m3の斜塊を2個打設するのが限界であった。
 廣井博士は工事着工の前年明治29(1896)年から強度試験用の供試体(モルタルテストピース)の製作を開始し、昭和12(1937)年の40年間総数6万個を製作した。写真-60、図-4に斜塊構造を、そして、写真-61にモルタルブリケットを示す。
 テストピースはセメントや材料の種類、増強材としての火山灰の有無、配合、保存方法(海水中、淡水中、空中)等が異なり、これらの要因がコンクリートの長期耐久性に及ぼす影響について貴重なデータが得られている。
 廣井勇博士は「私はコンクリートブロックが天然の石材と少しも異なるところがないことを認めるものである」「コンクリートは強度より密度に重点を」という言葉を残されている。
博士はこの小樽港における工事のなかで種々の新しい試みを行なった。それらのなかでも後に砕波圧公式として有名な廣井公式へと発展する波力の実測や落下水による衝撃波圧の実験、さらにはコンクリート製造においてモルタルに火山灰を混入するなどいずれもわが国で初めての研究が現場で行なわれた。


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写真-60 斜塊構造


表-3 小樽港の配合
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図-4 斜塊構造


火山灰混入モルタルは工費を節約すると同時に耐海水性を増進するなど、その原理と応用に関してはヨーロッパで研究されていたとはいえ、日本で、しかもこのよう大工事に用いるのはこれが最初であった。そのための試験として始められたモルタルブリケットの引張試験はその後、博士が小樽を去られた後も、さらには博士亡き後、今日までの長い年月に亘り延々として続いている「小樽港コンクリート長期耐久性試験」(百年耐久試験)である。5年ごとの行われていたモルタルブリケットの引張試験は残数5千個となり、現在は試験されていないとのことであった。(小樽工事事務所・副所長談)


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写真-61 モルタルブリケット


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写真-62 W/C=41%の配合


表4 W/C=41%供試体の試験結果
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港湾工学においても特に戦後の時代になって技術革新に伴う新工法や施工機械の開発進歩はまことに目ざましいものがある。小樽港は近代港湾に生れ変った。しかし外かくの防波堤は約1世紀近くの年月を経過してなお昔のままの姿を見せており、当時の技術者達の偉業を物語っているかのようである。廣井勇博士が残された有形無形の幾多の遺産は今後も小樽の港で後を継ぐ人々の胸に大切に護られ続けて行くことであろう。
 そこで、W/C=38~44%と推定された硬練りコンクリートの状態を把握するためにW/C=41%のプレーンコンクリートを練った。その練りあがった状態を写真-62に示した。
40×40×160mm供試体の締固めを平面振動機により行い供試体を作製したが、振動機のない当時は大変な作業であったことが伺える。養生後の供試体質量、密度については表4に示した。
供試体の見かけの密度は表面乾燥状態で2.55g/cm3で、天然石材である石英の密度、2.65 g/cm3に非常に近い値になっている。廣井博士が「私はコンクリートブロックが天然の石材と少しも異なるところがないことを認めるものである」と言っておられる状態に施工現場で近づけるのは大変な労力であったことが推察される。


参考文献
コンクリート材料工法ハンドブック
セメント産業における非エネルギー起源二酸化炭素対策に関する調査
コンクリートの長期耐久性・小樽港100年耐久性試験に学ぶ
 土木学会・第一大戸川橋の概要335委員会成果報告書
 雑誌:コンクリート工学
 神戸市水道局パンフレット
 湊川隧道保存友の会パンフレット
 建設業界⑩⑪ volume 52、2003
 土木学会誌 1992年11月号 北の国からの大いなる遺産
 その他インターネットより