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KCON WALKER

観光

やんばるの旅 ~沖縄本島北部エリア(歴史編)~

沖縄営業所N 

こんにちは。毎日暑い日が続いておりますが、                                                    

皆様いかがお過ごしでしょうか?                                                                                       

7月より新規開設致しました、沖縄営業所から観光情報をいくつかお届けしたいと思います。

沖縄の観光といえば本島北部、本部町にある沖縄ちゅら海水族館は世界的に有名なのですが、今回はすぐ隣にある備瀬集落について、まずは、ご紹介したいと思います。

台風の多い沖縄では防風林として、家をフク木で囲うように植えられていました。

特に海の近くにある集落の屋敷の周りに多く植えられており、備瀬集落でも何千本ものフク木並木が見られます。                                                                                                 

垣根や日差し対策としての役割もあるため、フク木並木を歩いていると心地よい風が注ぎ、ゆったりとした時間の流れを感じさせてくれます。

フク木並木         

フク木並木

それと、ちょっと余談ですけど、フク木は、沖縄を代表する伝統的な染色技法の一つ  “紅型(びんがた)”の染料としても使用されており、沖縄の人々が大事に付き合ってきた植物といえます。

カフェ

途中、民家を改築してカフェもありました♪こちらでゆっくり時間を過ごすのもいいですね。

琉球情緒漂う景色

琉球情緒漂う景色とゆったりとした時間に癒されました~♪

レンタル自転車もあるのでそれでまわるのもおススメです。

それからさらに足を延ばせば、古宇利島(こうりじま)があります。古宇利島は、神の島とも言われております。(沖縄本島周辺には、神の島と言われる場所が2つあり、ひとつは秘祭イザイホーで有名な久高島。そしてもうひとつが沖縄版アダムとイヴ伝説が伝わる古宇利島なのです)

~今帰仁村古宇利島に伝わる伝説~

むかしむかし古宇利島に、少年と少女が住んでいました。
二人は裸でいても恥じらうことなく、天真爛漫に毎日天の神様が降ろしてくださる餅を食べて暮らして居ました。
時が経ち、二人は、残り物を蓄える事を覚えました。それで神様は、ついに餅を降らすことを止めてしまいました。少年と少女は驚いて悲しみ、空を見上げては「お月様お月様、どうか私たちにもう一度餅を降らせて下さい。」と何度も頼みましたが、願いは聞き入れられませんでした。それから二人で毎朝浜に出て、魚や貝を捕り、働く事の苦しさを学びました。
 さてある時、いつもの様に二人が働いていると、海の中でジュゴンが交尾をしているのを見つけました。少年と少女は初めて子供を作る事を理解したのです。お互いを意識し始めた二人は、裸のままでいる事が恥ずかしくなり、クパの葉で身体を隠す様になりました。古宇利島の人々はこの二人の子孫で、ここから沖縄の島に、人が増えていき今の沖縄県の子孫とされています。
(出典:今帰仁村歴史文化センター資料No.001より。一部改変)

今帰仁村古宇利島

また別名「恋島」と呼ばれています。この伝説が残るビーチには、長年の波の浸食によりハート型に削られた岩があり、こちらのビーチに夕日が沈むので恋人同士で行くなら、夕暮れ時の景色もロマンチックかもしれませんね♪  

恋島

最後にもう1つ・・・

沖縄といえばやはり沖縄そばですよね♪

名護市にある宮里そばが有名で、個人的にもおススメのお店ですが

今回は同じ名護市にある大家(うふやー)についてご紹介したいと思います。

 

ここは築100年以上の古民家を復元しています

大家

「大家・うふやー」は、明治時代の後期に現在の名護市中山に建築された安里家を2001年に修復、後に南側の沢岻家、北側の新城家を移築・復元して、沖縄そばと琉球料理の店として、オープンいたしました。「大家・うふやー」という名称は、中心に位置する安里家の屋号からきており、同じ性の多い沖縄では、昔から、個人の姓名よりも屋号で呼ばれる事が多く、「うふやー」という屋号は、本家(沖縄で言うムートゥヤー)のような意味を持つ屋号と考えられています。

大家地図

                         安里家(あさと家)
うふやーの中心に位置する安里家は、安里家七世の晋芳が明治34年(1901年)に現在の名護市中山に建築。築100年たった2001年8月に修復され、「大家・うふやー」の中心の建物として利用されております。歴史の流れを感じさせる大きな黒い梁が、100年以上たった今もしっかりと建物を支えている様子は、見る人に感銘を覚えさせます。

大家

みなさん、沖縄に来られた際には、ぜひ本島北部に立ち寄ってみてくださいね♪