お使いのブラウザはサポート対象外です。推奨のブラウザをご利用ください。

KCON WALKER

IABSEシンポジウムと中央ヨーロッパにおける橋梁・構造物視察ツアー Vol.8

I・150921 チューリッヒからベルン・Luzernへ

 運転手はヤニスさん、ガイドはサチコさん

 

スイス連邦共和国は九州より少し小さ目の面積に808万人(2013年)の人口を抱えている。そして、10年くらいベビーブームで人口が増えている。

 スイスは永世中立国であるから海外からの難民を受け入れる義務があり、いろいろな外国人が住んでいる。

 ハンガリー動乱があった時にはハンガリーから、また、プラハの春(1968年に起こったチェコ・スロヴァキアの変革運動)以来当地にチェコ・スロヴァキアから来た人たちが住んでいる。

 チベット人の多いチベットコミュニティがあったり、ベトナムやカンボジアからの避難民で、家族で来ている人達がいて、それらの人達を優先的に受け入れている。

 イタリア、スペイン、ポルトガル、旧ユーゴスラビアからの避難民がトンネルや鉄道建設に来ている。チューリッヒは1/4が外国人であり、結婚してスイスのパスポートを取得した人等を含めると外国人は1/2になる。

 ①チューリッヒの人口は38万人(2012年)、②ジュネーブは23万人、③国民所得の一番多いバーゼル市は16.5万人(2012年)、④ローザンヌ市は13万人(2012年)、⑤首都ベルンは12.7万人(2012年)である。

スイスの朝は早い。8:00始業は普通で、工事現場は7:00から始まっている。

スイスは永世中立ながら軍備を持っている。10年以前に建てられた家では床面積だけの地下室があり、非常時の食料品を貯蔵している。

 最低気温が12°Cになると暖房が入るようになり、本格的な防空壕もあり、トンネルの奥底や中心部の大きな建物の地下3F等にある。その村の数割が収容できるようにベッド、トイレ、医療品、衣料、食料などがそれぞれ備えられていて、最近では避難民の住居に利用しているとか?すると、人道主義者が窓もないところに住まわすのは問題だと言っている。しかし、場所がない。

 

 スイスは森と泉の国、Luzern湖他湖は氷河の名残で、雪解け期の降雨により、洪水になることがあるので、44の人工湖が作られている。

 ロイス川はライン川の支流である。

 

 業務用トラックは日曜日の市内走行が禁止されているので、トラックは金曜日の夜は郊外のパーキングで止め、月曜日の朝に出発する。観光バスは良い。

 

高速道路の通行料は乗用車で年間40スイスフランで、ミグネットという。非常に安い。料金を100スイスフランに値上げしようと国民投票を行ったが否決された。

 橋梁・学校を作るときもこのような国民投票になるとか。また、スイスの1ヶ月最低賃金を4000スイスフラン(約50万円)にしようと国民投票となった。大手企業は問題ないとしたが、大多数で否決された。また、1時間労働を30スイスフランにと国民投票となったが、これも否決された。

 1年間に5週間の休みがあり、掃除婦の1時間賃金が23~25スイスフラン(約2900円)だったが、30スイスフラン(3600円/時間)にはならなかった。

 スイスは28のカントン(県)に分かれていて、それぞれのカントンに知事がいる。学校の休みや祭りも異なる。国民の同じ祭日はイースター、クリスマスである。

 小学校では秋休みが2週間ある。理由は①農繁期で忙しい。②スイスの山々は気候が安定しているから、山歩きをしなさい。

 最近では34歳までは4週間が義務化され、大手企業では5週間となっている。

 放牧された牛が寝そべっていると、明日雨になることが多いとか、しかし、寝そべっている牛もおれば立っている牛もいる。あすは曇りかな?

 

 スイスは工業国である。農業人口が減少している。これ以上減少すると国の基盤に問題が出るということで、とうもろこし・麦・ひまわり・菜種などは農業省からの手厚い援助がある。

 ミルクの値段が40年前は1.4スイスフラン/ℓが現在では1.9スイスフラン/ℓで農業援助を大きくしている。

 山岳農家は夏には農業、冬にはスキー客を相手に生計を立てている。

 スマートフォンを使用する人が多く、車の運転中は使用できないので路面電車の利用が多くなり、乗用車の販売が落ち込んだそうだ。

 20歳から16週間兵役があり、拒否すれば民間防衛等の高齢者施設で働くことになる。

 

 

テキスト ボックス: 写真I-2 ビアダクトとして活用チューリッヒからベルンへの道中、写真I-1は橋上の駐輪場である。町は閉鎖的で新しい産業が生まれなかったところに若者達が写真I-2に示す鉄道高架橋の空間を利用した店を出した (ビアダクト) 。

するとそこに大勢の人が集まるようになり、にぎやかになった。まさに「人の流れは金の流れ」である。「金の流れは人の流れ」ではない。

 

 原子力発電所が6基あり、増加していない。水力発電が主流で、他に風力、バイオマスエネルギー等がある。ハーゼルには地震があり、地熱発電の開発は中止となった。他方、地熱発電が盛んなのは、アイスランドで、電力の1/3をまかなっているとか。東芝や日立の設備が稼働しているところを報道で見た。

 

ベルン市内

大統領の任期は1/1~12/31間で、毎年代る。バラ園に入る手前に写真I-3に示すトイレがあった。日本のトイレの便器とは異なり、金属で出来ていた。ところ変われば品変わるである。

 

バラ園より

テキスト ボックス: 写真I-3 ベルンの公衆トイレ 1191年、南ドイツの大王・スツーリンゲンがこの町にやって来て、西側以外の3方がアール川に囲まれていて、一方向に城壁を作れば自然の要塞になるということでここに町を築いた。

写真I-4はベルンの地図を表し、3方が自然の要塞になっているのが良く解る。同じような地形を見た。スペイン・トレドの街は写真I-5に示すようにタホ川が旧市街を東から南・西へと流れ、深い渓谷を造り、自然の要塞を形作っている。

 


 

 

ベルンの町は1250年くらいまで拡張していった。1405年、木造の多かった町は焼失し、砂岩を使用した町に再建した。写真I-6はバラ園から見たベルン大聖堂で、写真I-7は火事に対応した砂岩の塀である。

また、ここにはヨーロッパ最大の6kmにも及ぶアーケードがあるそうだ。

ベルンにはスイス銀行、造幣局、世界郵便機構がある。

熊が多かったので「べアルン」と名付けられ、「ベルン」になった。1928年以降熊は発見されていないが、12年前に見つかった、しかし、現在は発見されていない。蛇はいるらしいがほとんど見かけない。

 

写真I-8は市内の風景を示し、トロリーバスが走っている。写真I-9~11は熊の縫いぐるみや熊公園があった。

 

 

 

ベルンの町に架かる橋梁の位置を地図I-1に示す。写真I-12はニューディッカ橋:1461~1489築・1840~1844年改修?・H=25m 1405年焼失を示した。

 写真I-13・14にはコルンハウス橋:1893~1895年 架橋・H=48m 支間115m・全長382m、写真I-15はローライネ橋:1928年~・H=37.5mを、写真I-16・17は

キルヒェンフェルト橋 1887年築 H=38.7mである。

 また、写真I-18・19には500年前に建てられた穀物倉庫を示し、現在はレストランになっている。


写真I-20・21にはキルテェンフェルト橋から見たアール川の風景を示し、写真I-22の博物館ではチューリッヒ工科大学で学んだアインシュタイン展が開催されていた。

写真I-23はベルンの議事堂を、写真I-24は議事堂前の将来を担う小学生たちである。

 

 
   

 テキスト ボックス: 写真I-24 議事堂前の子供達

写真I-25~28はLuzernにあるシュブロイヤー橋・1408年架橋 木製アーチで屋根付きである。1408年に造られたが、台風で崩壊し、1568年に再建、1889年に改修された。

写真I-31・32には橋の中にペストが流行ったころの絵が飾られている。写真I-33~36はカペル(チャペル)橋を示し、ヨーロッパでもっとも古い木造橋で、1333年に建造され城壁の一部でもあった。1993年に火事にあい、現在修復中である。

カペル(チャペル)橋は14世紀中ごろに街の要塞の一部として建築された、木造の屋根付き橋。湖側の壁が反対側よりも高いのは、当時の警備兵たちが武器をその上に据えやすいようにとの工夫からだ。屋根の梁には、スイスとLuzernの守護聖人伝記や歴史が描かれた絵が飾られている。19938月の火災により、橋の大部分とともにその絵の多くも焼失したが、17世紀前半に描かれたオリジナルのものも数枚残っている。橋の途中にある塔は水道塔で、1300年頃に城壁の一部として作られ、一時期は牢獄や拷問所として使われていた。≪JTB資料より≫

写真I-38はLuzern市街地で、Luzern湖は長方形で、ボートレースの世界大会が開催される。

 

日本の最古の橋

最古の橋:「宇治橋」「瀬田の唐橋」「山崎橋」を日本三古橋に数えられる。

・宇治橋(うじばし)は、646年(大化2年)に初めて架けられたという伝承がある京都府宇治市の宇治川に架かる橋である。

・山崎橋(写真I-39):奈良時代の高僧行基は725年に淀川の大山崎に山崎橋を架橋、731年に山崎院を建立した。・・・大山崎町教育委員会

・瀬田の唐橋:最初に架けられた橋は両岸に生えていた大きな藤の木を利用したつり橋であった。つぎに、景行天皇(日本武尊の父)の時代丸木舟を横に何艘も並べ、藤や葛のツタで絡めた搦橋(からみばし)が架けられた。推古天皇の時代には、唐橋は木橋になった。

 

ライン川の源流にトーマ湖という湖があり、その辺りから北に流れ、ロッテルダムから北海へと流れる。南に流れたものはレマン湖に流れ、ローヌ川から地中海へと流れてゆく。

テキスト ボックス: 写真I-39 淀川の大山崎に架っていた山崎橋ライン川はスイス・アルプスのトーマ湖に端を発し、ボーデン湖に入りドイツ・フランスの国境を北に向かう、ストラスブールを越えてカールスルーエの少し南からドイツ国内を流れ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、デュイスブルクなどを通過しオランダ国内へと入ったあと2分岐し、ワール川とレク川となりロッテルダム付近で北海に注いでいる。≪ウィギペディア≫

 

タワークレーン

 ヨーロッパの多くの地方で写真I-40のタワークレーンを見掛ける。用地境界からクレーン先端部分がはみ出しても問題視していないのかもしれない。日本ではクレーン先端が用地境界をはみ出してはいけないので写真I-41に示す起伏式が多いようだ。