コンクリート製品・工法

TOPページ » 情報発信TOP » 地域情報 » 納所・淀のまち

納所・淀のまち

淀城の城下町としてひらけた京都の南玄関。三十石船が往来する港町。

local_02.jpg

淀周辺には南に男山、西に天王山があり、木津川・宇治川・桂川の三川の合流する水上交通の要衝にあたり、京の外港として、中世には魚の市として栄えました。

淀船は淀二十石船と呼ばれ、徳川家康の大阪攻めに貢献したことから営業を許可された船で、淀川三十石船とともに、淀川舟運の大きな役割を担っていました。また、豊臣秀吉の淀城・伏見城の時代を経て、近世には伏見城廃城後の元和9年(1623)将軍徳川秀忠の命を受け、松平定綱が居城として淀城を築きました。

秀吉の文禄・慶長の役の後、隣国朝鮮との間は家康によって国交が回復され、鎖国をしていた日本が国交のあった数少ない国のひとつ朝鮮からは親善使節の朝鮮通信使が計12回も訪れました。
一行が降り立った場所は唐人雁木(とうじんがんぎ)と呼ばれています。親善使節はこのまちで一泊してから鳥羽街道を通り京へ向かいました。

淀は城下町であると同時に、宿場町であり、唐人雁木や荷揚浜を中心とする港湾都市として繁栄しましたが、時代が江戸から明治に変る際、大きな役割を果たした場所となりました。慶応4年(1866)の鳥羽伏見の戦いで、淀城は旧幕府の本陣となりましたが、淀藩兵は門を閉ざして、敗走する旧幕府の入城を拒んだことから、この時、幕府によって火を放たれ炎上し、城下の民家も焼けるなど大きな被害を受けました。

昔も今も交通の要衝であることに変わりなく、淀、納所のまちを歩けば、豊かな川の流れに恵まれた歴史が薫るまちとしての佇まいを残しています。


local_01.jpg